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張ち切れパンダ 5かいめ 「さめザわ」 @新宿サンモールスタジオ 2013/11/20
※本文中に激しくネタバレ含みます!
上演中の公演についてこれから観劇予定の方は閲覧ご遠慮ください。
張ち切れパンダ 5かいめ
「さめザわ」
2013/11/20更新 ≪新宿サンモールスタジオ≫ ≪張ち切れパンダ≫ ≪2013/11≫
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張ち切れパンダ 5かいめ 「さめザわ」 【作・演出】 梨澤慧以子 【キャスト】 薩川朋子、深井邦彦、中島愛子、鈴木利典(扉座)、古市香菜(オフィス・メイ)、 斉藤マッチュ、田浦傑(渋谷ハチ公前)、高嶋綾香、三浦久枝、 谷部光明、野本光一郎(ONEOR8)、小林美江、梨澤慧以子 【スタッフ】 舞台監督: 鳥養友美、篠原絵美 演出助手: 望月清一郎(鬼の居ぬ間に) 照明: 富山貴之、中佐真梨香 音響: 天野高志、柴田直子 映像: 遠藤尚 イラスト: 粟国 宣伝美術: 佐川まりの 制作: 山下那津子 企画制作: 張ち切れパンダ 【日程】 2013年11月13日(水)〜11月20日(水) 【会場】 新宿サンモールスタジオ 【チケット料金】 一般 3,200円 学割 2,700円 初日・平日割 3,000円 【公式HP】 http://hachikire-panda.moo.jp/ ========================================== 個人経営スーパーの従業員控え室が舞台。 深夜、1人の従業員・鮫沢の死体を皆が囲んでいるところから始まる。 皆死体を前にどうしたらいいのかわからず困惑している。 時は戻り数時間前へ。 まだ営業時間中のスーパーの控え室はいろんな人間が出入りする。 存在感が極めて薄い鮫沢は、部屋の中にいてもほとんどいないものとして扱われ、 ひどいときには全く気付かれていないときもある。 そのため彼は、不可抗力でいろんな従業員の裏事情現場に立ち会ってしまう。 店長と店員の不倫関係、店員の横領、恋愛事情。 それらを知ってしまう度に当事者に責められ、不慮のアクシデントで彼は死ぬ。 皆、死んでしまった鮫沢に驚き、事実を隠蔽しようとする。 ほかの従業員達は皆「自分が鮫沢を殺した」と思っているのだから大混乱。 しかし彼の死は全て、ただの死んだふりだった。 呼吸はおろか、脈まで止めれるという彼の一番の特技。 学生の頃から影が薄かった鮫沢は、 他人の注目を集める手段としてよく「死んだふり」をしていた。 途中で店長の妻の何気ない言葉で、いままでの自分が間違っていたことに気付く鮫沢。 ついに前向きに頑張る姿勢を見せ始めた彼だったが、 店長の妻の思い出の品を「過去に捉われてはダメ」とし強引に捨てようとしたことで、 彼女の激昂を受け、そのはずみで殺されてしまう。 それからずっと死にっぱなしの鮫沢。 誰もが本当に死んでしまったと思ってしまったが、やはり今回も死んだふり。 幕。 現在と過去をめまぐるしく移動する展開だったので 実際ここまでシンプルではないが、まぁ、ざっくりとはこんな感じのお話だった。 上演時間は1時間50分ぐらい。 扱っている主軸は非常に面白いと思う。 自分の存在を主張できなかった青年がなんとか自分を見てほしいと思って選んだ手段が、 「死んだふり」という、己をこの世から消すにも等しい行為であるという皮肉。 ついにその手段が間違っていると気付き、人生で初めて前向きに主張できたというのに そのせいで命を落としてしまうという悲劇。 題材としてはかなり良質であるし、 個人的にも好きなジャンルであった。 それだけに、最後もやっぱり死んだふりだったってオチはやめてほしかったなぁ。 そこで鮫沢が再び死んだふりに走る動機がわからない。 「前向きになりかけたけど、やっぱ挫折して死んだふりに逃げた」だとしても、 そういう感情描写も見えなかったし。 あと役者それぞれのキャラが濃くて、そのこと自体は別にいいのだが、 テンション高めで演技がくどい人がほとんどだったのが残念。 脚本的に自分勝手でモラルの低い性格設定の登場人物ばかりなので、 元々お客は登場人物にはあまり共感できていない。 そこにくどい演技が相まると、笑える部分も笑えなくなってしまう。 脚本・演出が同一人物なので、こういうテンション高めのギャーギャーしたドタバタものを 最初からやりたかったのかもしれないが、 個人的には今回の脚本ならば、もっと役者にはナチュラルな演技で淡々とやらせて、 滑稽なすれ違いからくるクスリ笑いだけとってくような方向性のほうが映えたんじゃないかと思う。 サスペンス的にやっても題材がしっかりしてるので全然アリ。 あともうひとつ。 「テンション高めのギャーギャーしたドタバタもの」と前述したが、 どうしてもこれ系の雰囲気で演出された作品は、一見すると喜劇に見えてしまいがち。 本当はそれが全然喜劇でなかったとしても。 当パンの挨拶文に「喜劇を作ろうとして結果的に喜劇にならなかった」とあったので、 もちろん作り手はこの作品を喜劇でないとしているのだが。 しかし他の劇評をみると、やはりこの作品を「喜劇」として受け止めてしまった人が多いようだ。 もしこの作品を喜劇としてみた場合、 スーパーで起こっている様々なトラブルが何ひとつ解決していないことに違和感を覚える。 喜劇って、大体トラブルはそれなりに解決するものなのだ(この常識自体陳腐なことなのだが)。 今回の作品の場合、これらのトラブルは各登場人物の汚い部分を引き出すためだけに 脚本に組み込まれているだけだろうと思うので、無理に解決する必要など勿論ないのだが、 「喜劇」として観てしまったお客はそうは思ってくれないだろう。 彼らはみな「問題が残ったままだ」「消化不良だ」といった感想を抱く。 これは作り手側からすれば非常にもったいないし残念なことだ。 とんでもない皮肉になってしまうが、 「喜劇のつもりで書いた脚本が、結果的に喜劇にならなかったのに、 お客には喜劇に見られてしまったせいで作品として損をしてしまった」 と、自分はそのように思う。 光るモノがいっぱいあるんだけど、いろいろ惜しいなぁって作品。 次に期待。